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福島 自治体 NA
福島県矢祭町(2)いまも遺る“昭和の大合併”、血の雨のしこり
2005/03/15

 JR水郡線(水戸〜郡山)は水戸を出ると、久慈川沿いの田園風景のなかを一路北上する。久慈の山並みが迫り、やがて「袋田の滝」が近い袋田駅。多くの列車は次の常陸大子(ひたちだいご)駅止まりとなる。その先の茨城・福島県境を越えて郡山に向かう列車は1日に5本程度しかない。

 福島県矢祭町はこの県境を越えたところ、つまり福島県の最南端にある。東を阿武隈山系、西を八溝山系に挟まれ、久慈川の両岸に田圃が広がる山間の町である。人口7200人。町域の68%は山林。コメを中心にコンニャク、イチゴ、花卉、シイタケ栽培が盛んだ。奥久慈のアユ釣りや矢祭山を紅に染める自生のヤマツツジで知られる。矢祭の地名は、八幡太郎義家が奥州征伐の帰路、景色の美しさに感激し岩に矢を祭ったという故事に由来している。

 なぜ、こんな辺鄙な山里の町から国が進める“平成の大合併”に反乱が起こったのだろうか。その答えは「市町村合併をしない矢祭町宣言」の第4項目に書かれていた。「矢祭町における『昭和の大合併』騒動は、血の雨が降り、お互いが離反し、40年過ぎた今日でも、その痼(しこり)は解決しておらず、二度とその轍を踏んではならない」――「血の雨が降る」「いまも痼りが遺る」とは穏やかでない。なにがあったのだろうか。

 町村合併促進法(1953年=昭和28年)と新市町村建設促進法(56年)によって進められた「昭和の大合併」は、町村の規模を新制中学校1校分(人口8000人)に再編することを意図した。その結果、町村数は3割(53年=9582町村→61年=2916町村)に、市の数が倍増(286市→556市)して、全国の市町村数はほぼ3分の1(9868市町村→3472市町村)になった。

引き裂かれた村
 矢祭町の前身である矢祭村も「昭和の大合併」のなかで、豊里村の全村と高城村の一部(南側)が合併して1955年3月31日誕生した。合併の経緯を簡単に説明すると(地図「『昭和の大合併』と矢祭町の誕生」参照)、当初福島県が原案として示したのは、豊里村、高城村、石井村の3村合併であった。しかし、役場の位置をめぐって紛糾し、話しはまとまらなかった。一方で、3村の北に隣接する塙町は3村の東に位置する笹原村と一足先に合併(55年3月10日)し、3村合併が行き詰まっていた矢祭側の高城村と石井村に合併攻勢をかけていた。

 ここでまず高城村に悲劇が起こった。住民同士が合併先をめぐって塙派と矢祭派に分かれて対立、村は北側半分が塙町へ、南側半分は矢祭村へ、と南北に引き裂かれることになった。同時に北、東、西の3方向を塙町に囲われることになった石井村もにわかに塙町との合併を決定したため、合併騒動は当初の組み合わせを一変する塙町(塙町、笹原村、石井村、高城村の北側半分)と矢祭村(豊里村、高城村の南側半分)が誕生(55年3月31日)して、ひとまず決着することになった。

バツイチの村
 ところが、1年も経たないうちに、塙町に編入された旧石井村から矢祭村と合併したいという運動が起こってしまった。塙町への編入は一部のボスによる独断で、地域住民の意思を反映していない、とみる人たちが分町既成同盟会を結成して、塙町からの離脱運動を始めた。住民は賛成、反対に二分された。「合併しない宣言」にある「血の雨が降り、お互いが離反し」は、この時のことだという。

 塙町は旧石井村の分町に応じず、福島県の勧告も住民投票の要請も蹴った。結局、自治庁(現在の総務省)が塙、矢祭両町村に「将来の合併」を勧告して、旧石井村の一番北側に位置する上石井地区だけが塙町に留まり、中石井・下石井・戸塚の3地区が矢祭村に編入されることになった(57年1月10日)。その後も両町村は自治庁に約束した「将来の合併」をめぐってもめ続けたが、矢祭村住民の強い反対で合併は実現しないまま、8年掛かりの「昭和の大合併」に終止符が打たれた。

古傷に触れた「平成の強制合併」
 当時を知る町民は「石井村は塙町からの分町賛成派と反対派でお隣同士でさえ口もきかない感情的な対立に陥った。『井戸に毒を入れられる』『火付けされる』などと疑心暗鬼が高じて、消防団や青年団が夜警するほどだった。あの家の子どもとは遊ぶなと、子どもたちも巻き込まれた。石井村には農民運動の歴史もあり、住民に代わって農作業を手伝う援農隊も組織された」という。

 町内を役場の職員に案内してもらった。「ここは隣保班(町内会)が分裂した地域です。いまでも隣同士で別々の町会に属しています」「見張りの櫓(やぐら)が建ったのはこの辺です」ーーいまでも痼りが残っているという話はけっしておおげさではないようだ。いま、ようやく、わだかまりが薄れ、町民の心がひとつになろうとしているところに、古傷に触れる「平成の強制合併」が降って涌いた。

 町議会で「市町村合併をしない矢祭町宣言」を総務常任委員長が提案したのに対して、8人の議員が賛成討論に立った。「政府・財界の一方的な合併には断固反対」「地方分権といいながら中央集権」「先人が築いた町を次代に引き継ぐべき」「昭和の大合併は大きなしこりを残した」と口々に合併反対を唱えた。そして18人の全議員が決議に賛成した。「二度とその轍を踏んではならない」という「合併しない宣言」の言葉は、「昭和の大合併」の悪夢に裏付けされた町ぐるみの確固たる決意表明なのだ。

関連記事:福島県矢祭町(1)“平成の大合併”にブレーキをかけた「小さいからこそ輝く町」

(竹内謙)

矢祭町の中心部(「矢祭町町勢要覧」から)







旧石井村役場跡。いまは地区の集会所が建つ。右手の蔵は石井村当時から使われている倉庫







矢祭町の前身である矢祭村は「昭和の大合併」で誕生した




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