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コラム

(赤ちゃん)取り違え事件の判決

高村智庸2005/06/14
東京地裁の516号法廷は、判決を控えて緊張感が漂っていた。傍聴席は30席、東京地裁では1番狭い法廷だが、裁判所関係者も傍聴席が満員なのは異例だ、という。
日本 事件 NA_テーマ2
 東京地裁の516号法廷は、判決を控えて緊張感が漂っていた。傍聴席は30席、東京地裁では1番狭い法廷だが、裁判所関係者も「この手の裁判で傍聴席が満員なのは異例だ」という。

 5月27日午後1時30分、東京都を相手取った損害賠償訴訟の判決が言い渡された。「それでは判決です。主文、原告らの請求をいずれも棄却する」。その瞬間、私は肩の力が抜けていくのを感じたのだが、原告である47歳の男性は表面的には大きな変化が見られなかった。予期していたからかもしれない。女性の裁判官は主文に続いて判決理由の要旨を事務的な声で読み上げた。民事裁判で判決の理由まで読み上げるのは、かなり稀なことだ。

 原告の男性は現在47歳、46年前に都立の産院で他人と取り違えられたとして、自分が生まれた都立墨田産院があった墨田区に対して出生届の受付帳を開示するよう求めていた。この受付帳は墨田区で生まれた新生児の氏名や本籍地を控えておくもので、保管期間は50年。男性にとっては取り違えられた相手を捜す上で有力な手がかりになる。

 しかし個人情報保護条例の壁に遮られた。そこで男性と両親の3人で東京都に3億円の損害賠償を求める訴訟を昨年10月に起こした。男性にとって金額の問題ではないという、本当の親に会いたいという気持ちから、裁判で取り違えを認めてもらい、本当の親を捜して欲しいというものだった。

 裁判官は判決理由の中で「取り違えによって原告らは真実の子を育てる機会を奪われ、また真実の親との関係を一方的に断ち切られるという重大なものであり、産院において決してあってはならないものであることはいうまでもない」と述べた。

 そして「産院の医師または看護師が、その職務を遂行する中で生じた偶発的かつ単純な義務違反であると評価することもでき、加害行為自体が甚だしく人倫にもとるとか、悪質性がきわめて強固ということはできないことも確かである」と述べて、産院での取り違えを認めたのだが、私はこの後半部分が納得いかない。

 取り違えは重大なことであり、決してあってはならないものであることはいうまでもないということは、取り違えという行為に悪意があろうが偶発的な単純ミスであろうが許されないことではないのか。決してあってはならないとは「どんなことがあってもあってはならない」「絶対にあってはならない」という意味だと思うのだが、この裁判官は、取り違えは絶対あってはならない重大なことだと言っておきながら「悪意があってやったわけではないから、しょうがない」と言っているように思う。

 私の解釈の仕方は偏っているだろうか。どんな人でも間違いはあるし、その間違いを一切認めないという訳ではない。しかし、許されるケースとどんなことがあっても間違いを起こしてはいけないケースがあると思う。人の生命や存在に関わることなど、どのようにしても取り返しの付かないことについては注意に注意を払い、何重ものチェックをすることによって間違いを起こさないということではないか。この裁判官は自分の身の上に決してあってはならないことが起きても、このように考えるのだろうか。

 取り違えは認めたものの、東京都に対する「賠償請求権については取り違えがあったと考えられる昭和33年4月10日から同月14日までの20年後、すなわち昭和53年4月14日頃に、民法724条後段の除斥期間の経過により消滅したと解さざるを得ない」という。

 取り違えは男性の誕生日である昭和33年4月10日から母親の手元に乳児が来た14日までの間に、産院による取り違えという不法行為が起きたのだから、それから男性が訴えをおこすまで46年も過ぎているから、民法の規定により請求権が消滅したということだ。

 この取り違えという不法行為が起きた時期を請求権の起算点とするのか、この男性はDNA鑑定により昨年の5月に取り違えを知り、10月に提訴した訳だが、不法行為を知った時期を請求権の起算点と考えるべきだとする原告側の主張は退けられた。

 この取り違えの取材で「都立墨田産院36年の歴史」という冊子を調べた。そこには昭和27年7月に開設されてから昭和63年に閉院されるまでの36年間の毎月の出生数が記録されている。しかしなぜか、この男性が生まれた昭和33年の4月前後の6ヶ月分だけが空欄になっていることが分かった。

 裁判の中で都側はこの男性のカルテは破棄されていて存在しないと主張していたのだが、空欄になっている6ヶ月分のカルテは紛失したからデータがないという注釈が付いている。破棄ではなく紛失していたというのはどういうことなのか。単なる偶然なのか、意図的なものなのか。

 以前この産院に勤務していた医師は、この男性が誕生した4月を含む、昭和33年の産院のカルテや分娩台帳が6ヶ月分だけが紛失しているということに驚きながら、関係者が意図的にその部分だけを抜き取ったとしか考えられない、と断言した。カルテは年度分ごとに紐で縛って置いていた、だからその半年分だけが抜けているのはおかしいという。もしこの医師が言うように意図的なものだとするなら、当時の病院関係者は取り違えに気付いていたということなのだろうか。

 今回の判決を受けて、男性は「取り違えを認めてくれたことは1歩前進だと思います」とコメントした。そして被告である東京都は「東京都の主張に変わりはありません。取り違えられたというのは想像に過ぎず、あり得ません」。裁判所が血液検査もDNA鑑定も客観的で信用できるものであり、産院で取り違えられたと認定しているにも関わらず、東京都は相変わらず取り違えそのものを認めようとはしない。

 取り違えを認めることによって生じる責任を回避するためには、総てを「なかったこと」にしようという思惑が透けて見える。

 男性側は裁判の中で、本当の親をさがすために、男性が生まれた昭和33年4月10日前後の10日間に生まれた全国の男性の住所、氏名が記載されている社会保険庁のデータを開示するよう求めていた。これに対し裁判所はこの情報は個人情報であって、新たな権利侵害を否定できないこと。被告らの真実の親と子を見出すため手を尽くしたいとの心情は察して余りあるとしながらも、その適否の判断は裁判官に与えられた権限を越えているとして認めてもらえなかった。

 真実の親を捜す術はあるのか。しかし石原都知事は違った。判決を受けた5月27日の会見で次のように発言した。

 「都庁の責任者としてだけじゃなく、私は“もの書き”としても非常に興味ある問題でね……これは時効といえば時効なのだろうけど、時効で当人が納得できる問題ではないし、しかも取り違え相手がどこにいるか捜そうとすると、今度はプライバシーの問題とか言って、国がその求めに応じないというのは、私は問題があると思う。情報を持っている国が協力できないというのは、私はおかしいと思う。この人の人生を賭けた問題だからね」

 この男性にとって頼もしい援軍が現れた。この石原知事の存在は男性に勇気を与えることになったと思われる。男性は控訴するという。そして墨田区に対して出生届の受付帳を開示しないことを不服とした異議の申し立てをした。男性は今年47歳になった。限りなく困難な戦いはまだまだつづく。
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(赤ちゃん)取り違え事件の判決
ワイドショーリポーター高村智庸さん

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